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2007/10/09

1年たって思うこと

 

義父が亡くなって、もうすぐ1年が経とうとしている。

昨日は、一周忌だった。

親戚一同が、狭い我家に集まる。

 

まずは、掃除だ!

一昨日は、やっぱり大掃除になった。

気をつけてみると、クモの巣があちらこちらに。。。

窓も、ずっと拭いてなかった。。。

普段の、手抜きを痛感!

 

 

昨年の、10月半ば。
義父が突然亡くなった。

突然といっても、87歳になって思うように動けなくなってきており、
出かけるときは、車椅子も必要になってきていたし、
痴呆とはいえないまでも、少々困ったこともでてきたり、
介護、特に下の世話なども必要になっていた。

そんなある日の夕方、
「お腹が痛い。」と義父が言い出した。
病気らしい病気はなかったが、
動脈瘤を抱えていたので、定期的にCTで様子を見ていた。
次の日に、その検査のため入院することになっていたので、
義母は、「明日まで我慢したら。」と言ったらしい。

だいたいが、ちょっと大げさな人だった。
ちょっとした切り傷でも、大げさに騒ぐ人だったし、
「お腹が痛い。」は、日常茶飯事だった。
義母も私も、「また、じいちゃん。。。」と思ったのだ。

それでも、どうしても病院に行くというので、
大急ぎで仕事から戻り、夕方近くの病院に連れて行った。

そして、処置室で点滴をしようとしていた時。。。

呼ばれて処置室に入った時には、
もう意識がなかった。。。

動脈瘤が破裂したらしいのだ。
そのまま、2時間足らずで逝ってしまった。

 

私たちは、一緒には住んでいなかった。
すぐ近くだと言っても、所詮別居。
一緒に住んで介護を一手に引き受けてくれていた義母は、
パンク寸前だった。

事実、パンクしたこともあった。
昨年の冬には、義母が鬱の一歩手前状態になったこともあった。

もともと、一生懸命やる義母なのだが、
その一途さが、病人には億劫だったり重荷だったりしたこともあったようで、
衝突しては、うまくいかないことにイライラがたまっていったのだろうか。

デイサービスは義父がいやがる。
訪問介護は義母がいやがる。
八方ふさがり、後は私たちがどうするか、
というところまできていた状態だった。
本当は。

 

私は。。。

たぶん夫も含め私たちは、
正直言って目の前にある「介護」という現実から、
なるべく目をそらしていたように思う。
見ないようにし、ギリギリまで引き伸ばそうとしていたように思う。

私たちにも、生活はある。
長男は受験生だったし、県外の大学に進学を望んでいたから、
経済的なことも頭をよぎり、私が仕事をやめて「介護」をする、
ということも現実的でない、と

今思えば、それを言い訳にしていたんだと思う。

「同居すれば手伝えるから、同居しよう。」と義母に持ちかけてはいたけれど、
「あんたたちに、迷惑がかかるからいい。」という義母に、
「でも、お母さんに倒れられたら、もっと困るから。」
と言いつつも、一手に引き受けようとしてくれている義母に
ホッとしていた自分がいたことも事実だ。

ホントいったら、昨年の夏から秋にかけて、
ジョニー・デップに夢中になっている場合じゃなかった。(苦笑)
でも、ある意味現実逃避には格好の対象を見つけて、
考えなくてはいけない事を、頭から消し飛ばしていたんだよね。

 

そんな時、義父はあっという間に逝ってしまった。

お葬式の前後は、こなさなければいけない事、
決めなければいけない事が、次から次へとあり、
悲しみに浸っている暇もなかった。

少し落ち着いてから、
私たちの気持ちを察したように逝った義父に、
申し訳ない気持ちが湧いてきた。

たぶん、夫も義母も同じだったんじゃないかと思う。

 

一年たって。。。

お墓をたてた。気持ちのいい、丘の上の墓地だ。
一周忌の法要も済ませた。
親戚みんなで、義父が映っている唯一のビデオを見た。

義母は、「まだ一緒に住むのはいい。」と言って、
友達と出かけたり旅行に行ったりと、それなりに楽しんでいるようだ。

 

今は、これで良かったのかな。。。と思う。
義父も「よかった。」と言ってくれているような気がする。

でも、義母ももうすぐ80歳に手が届く年齢だ。
「介護」という問題は、そう遠くない将来に考えなくてはならない。

 

今度は、後悔しないように。。。

でも、目の前に突きつけられないと、

やっぱり、考えられないかもしれない。。。

 

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コメント

こんにちは。

最近更新がなかったので心配していました。
いろいろとお忙しかったのですね。

私にも、88歳の祖母がいます。
生活全般は自分でできるのですが、物忘れがひどく足が悪いので
すぐ病院に行きたがります。
同居している気の強い母とは、衝突してばかり。

実家に行くと、よく喧嘩をしています。

「おばあちゃんなんだから、もっと優しく。。」
なんていうのは、離れた所に住んでいるものの勝手な言い分なのかもしれません。

現実逃避。

私もそうですよ。
現実ではいろいろあるのに、ブログではなるべくホンワリ、楽しい話を書いてる。
きっと、嫌な部分は見ないようにしてるんですよね。

riさん、ジョニーで現実逃避っていうか、そういった楽しみ
大賛成です。

投稿: 寝起きのパンダ | 2007/10/10 14:13

パンダ様

>最近更新がなかったので心配していました。

ありがとうございます。
ご心配おかけしちゃったかな?
普通に、サボっていただけなんです。(苦笑)

この歳になってくると、「介護」という問題は、
避けて通れないのかもしれません。
一応、長男の嫁ですし。。。(笑)

>現実ではいろいろあるのに、ブログではなるべくホンワリ、楽しい話を書いてる。

そうですよね。
現実の生活があって、でもお顔も現実も見えない方と、
こうやってお話ができる。

ブログも大きくなると、大変なことがたくさんあるようですが、
私は、こうやって皆さんとお話させていただいてる事が、
楽しく癒しになっています。

細々とではありますが、ブログも続けていきたいと思っています。
そして、パンダさんのブログは、いつもホントに癒しを頂いてます。

「ジョニーで現実逃避」、やっぱり最高ですよね!

投稿: ri | 2007/10/11 18:09

大きな仕事、お疲れ様でした。

riさんのいろんな思い、とても良く分かります。
私も同じですから。

亡くなった人に対して
あるいは介護の重荷を背負ってる人に対して
もっとなにかしてあげられたのではないか。。
そんな、ちょっと自分を責めるような気持ちも分かります。

最近、仏事が重なって
そのときに、ちょっと伯母と話をしたのですが
「亡くなった人は、ちゃんと自分の死ぬ時期を選んでるんじゃないか。。」と。
誰にも、なるべく負担にならないような時期に亡くなっていくような気がする。。と。

雪の多い地方に暮らす義父が亡くなったのは、桜が満開の春でした。
母が亡くなったのは、孫たちの夏休みが終わってすぐ。
運動会や行事の多い時期なのに、ちゃんと(苦笑)その隙間の時期に、きっぱりと亡くなりました。

大雪だったら、遠方に住む子供達が難儀します。
運動会にでられなかったら孫がかわいそう。
。。ちゃんとそんなことを考えて亡くなったような気がするのです。

きっとそんなのは、残されたものの勝手なこじつけなのかもしれないけど
いつまでも亡くなった人に済まなく思うより
こじつけでもなんでも(笑)感謝していたほうが、ずっといい。。
そんな気がしてます。

済んだことも
これから来ることも
考えすぎたら 重いばっかりですもんね。
そのとき、そのとき、考えて、乗り切っていくしかないんじゃないでしょうか。
これって、完璧な現実逃避ですけどね(笑)

いろいろありますよね。
そんなお年頃なんです。私たち。

投稿: チョコ | 2007/10/12 15:41

チョコ様

ありがとうございます。
チョコさんの言葉で、やっぱりこれでいいんだと、
改めて思いました。

チョコさんも、最近お祖母様を亡くされているのですものね。
後に残った者が、それぞれ一生懸命生きていること。
それが、亡くなった方への一番の供養なのだと思います。
ホントに、そういう年齢になっちゃったって事ですね。

>考えすぎたら 重いばっかりですもんね。

そうですよね。
「考えすぎないこと。」は、私の得意技ですから。(爆)
ブログの名前の通りなのです。


ブログって、ネットの世界って不思議ですよね。

こうして、お会いしたこともお声を聞いたこともない方と、
同じ思いを共有できて、リアルよりも素直になれたりする。

ブログを初めてよかったと、ホントに思います。
そして、チョコさんや、他の仲良くしていただいてる方、
ほとんどの方を結び付けてくれた、
ジョニーに、やっぱり感謝です。(笑)

投稿: ri | 2007/10/13 01:38

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