リプリー
原作は、パトリシア・ハイスミスの小説『リプリー』。
1960年に製作された『太陽がいっぱい』に次ぐ、2度目の映画化作品。
ふとしたことから、大富豪のグリーンリーフ夫妻からの、
イタリアで遊び暮らしている息子を連れ戻してほしいとの依頼を、
1000ドルで引き受けた、貧乏青年トム・リプリー(マット・デイモン)。
彼を待っていたのは美しき放蕩息子、ディッキー (ジュード・ロウ)だった。
物珍しげにトムを迎え入れたディッキーと、
彼の恋人マージ(グウィネス・パルトロウ)のそば近く暮らすうち、
トムは自由奔放でキラキラと光り輝くディッキーに心を奪われる。
しかしやがてディッキーはトムを疎ましく思うようになり、
冷たく突きはなそうとするが…。
『太陽がいっぱい』は、私が生まれる前の作品で、
何度もテレビで放送されているのだろうが、内容は全く覚えていない。
知っていることといえば、
私の母の青春時代のいい男の代名詞、アラン・ドロンが主演。
それと、あの切ない音楽はあまりにも有名だ。
なので、何にも知らなかった私は、
当然、アラン・ドロンが演じた役が、ジュード・ロウだと思っていた。
でも、実は主役のリプリーは、マット・デイモンのほうだったのね。
アラン・ドロンが演じたリプリーを、
マット・デイモンがどう演じるのだろうと思って観てみると、
画面に登場したリプリーは、いい男どころか、
おどおどして、全く冴えない貧乏青年。
それに比べて、画面に登場した瞬間から、
ジュード演じるディッキーは、キラキラと眩しいほどの男前っぷりで、
誰が主演などと関係ないほどに、眼はジュードに釘付けになる。
物語の前半は、まさにディッキーを中心にストーリーが展開されているよう。
私は、そもそも最初から、
ジュード・ロウを目的にこの作品を観ているのだから、
当たり前と言えば当たり前。
地中海の眩しい太陽と、透き通った海と、洒落た佇まいがよく似合い、
わがまま放題の金持ち息子が、嫌な奴どころか、
どこか憎めない魅力に溢れ、結局みんなを虜にしてしまう。
もちろん、ディッキーが画面から消えてしまっても、物語は続く。
リプリーは、ディッキーに複雑な思いを抱き、
それを冷たくあしらわれて傷つき、侮辱されて最悪の結果になり、
一度ついた嘘が嘘を呼び、また罪を重ねてゆく。
何のための嘘、どうしたいがための罪なのか、
もう一つ、背景と動機が希薄な気がしたが、
マット・デイモンも、貧乏青年からディッキーに成り代わる様を、
見事に演じていた。
でも、やっぱり、
ジュードが画面から消えてしまってからは、
なんとなく、物足りなさを感じてしまうのだった。。。
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コメント
riさん、こんばんは。
『太陽がいっぱい』を観たのはかなり前ですが覚えてます。
ニーノ・ロータの音楽とアラン・ドロンの美貌の中の野望、
忘れ難いイメージです。
パトリシア・ハイスミスの原作は未読ですが、
結末が違っていたと聞いていましたが、
今回の『リプリー』はどうなんでしょうね?
機会があったら観てみます♪
投稿: Rei | 2007/06/16 18:40
riさんこんばんわ★はじめてお邪魔しま~す
この間はNIMOのブログに有難うございました!
「リプリー」は私も好きな作品です
特にディッキーはまさに!「イタリア伊達男」を
絵に描いたような輝きと甘味ですね。
近くに寄ると甘く危険な香水に酔いそうな美しき男
ちなみに、作品中に「マイ・ファニーヴァレンタイン♪」という
スタンダードナンバーをリプリーが歌い上げますが
そのシーンが最高。何度DVDで繰り返し観た事か・・・
またお邪魔しますね~CIAO~~~^-^/
投稿: NIMO | 2007/06/17 00:21
Rei様
『太陽がいっぱい』は、観たことはあるはずなんですが、
内容を全く覚えてなくて。(泣)
ただ、あの音楽とアラン・ドロンのイメージだけは強烈に覚えています。
たぶん、『リプリー』のほうが原作のイメージに近いんじゃないでしょうか。
海賊祭りも一段落したので、
またちょっと、ふらふらしています。(笑)
投稿: ri | 2007/06/17 23:12
NIMO様
コメントありがとうございます♪
>近くに寄ると甘く危険な香水に酔いそうな美しき男
ジュードって、やっぱり美しいですよね。
作品によって全く違う顔を見せてくれるジョニーとは違い、
どの作品でも、きっちりと美しさを発揮してくれます。
私の中では、海賊祭りをはさんで、
「ジュード祭り」開催中です!
これからも、よろしくお願いします。
また、いろんなお話させていただけるとうれしいなぁ!
投稿: ri | 2007/06/17 23:23